今年は2019年12月28日に亡くなったハッピーの3回忌になります。
エイズにも事故にも負けないハッピーは16歳で亡くなりました。
直接の死因の結果は、低体温によるものでした。
ハッピーは母の一番の相棒でした。
そんなハッピーの記憶を残したいと思います。
ハッピーがやってきた
私が地元を離れていた時に、母が人からもらってきた子猫がハッピーです。
とても田舎で野良猫を頻繁に見かける地域だったので、野良猫を飼い猫にするのはよくあることでした。
そのことから我が家でも猫が常にいる環境でした。
当時は猫もいなくて子育ても楽になり、一人で気楽に過ごしていた母。
「野良猫が子猫を産んだからもらってほしい」と言われたときは、正直微妙だったそうです。
でも、元々犬派だった母でしたが子猫をみたら可愛くて連れて帰ってきてたそうです。
母はよく「この子の他にもまだいたけど、この子が一番可愛かったわ!」と最初からとてもかわいがっていました。
「いい言葉を毎日言ってたらいいことが起こるんだよ、だから幸せがくるようにって『ハッピー』って名前にしよう」と、幸せな言葉から名前を付けていました。
でも、母にとってはハッピーが来た時点で幸せが始まっていましたね。
行方不明
生後3ヶ月から家族になり、すくすくと元気に育っていったハッピー。
外を自由に出していたので、男の子ということもありそこらじゅうを走り回って、ケンカもよくしていました。
2歳になった頃、ケンカで負けてしまったのかハッピーは足をケガしてしまいました。
しばらく動物病院に通院期間が続きます。
もう治りかかってきた頃、いつも通り動物病院に連れていく時に事件は起きました。
動物病院の駐車場で、抱っこをしようとしたらハッピーは嫌がって、そこから猛ダッシュで逃げて行ってしまったのです。
そう、母はいつも抱っこをして連れていたのです。
慌てた母は急いで追いかけましたが、ハッピーの速さには追い付けず見えなくなってしまいました。
季節は冬。1月です。
積雪地方なのでめちゃくちゃ積もってます。
母はその日一日中探し続けましたが見つかりませんでした。
次の日も仕事を休んで一日中探しましたが見つかりません。
当時母から電話で「ハッピーがいなくなった。。どうしよう。。こんな雪の中なのに。。」とすごく後悔して泣いていたのが鮮明に覚えています。
私は近くにいなかったので、一緒に探しに行けなかったのがすごく辛かったです。
奇跡は起きた
ハッピーを探して一ヶ月。
2月になりました。雪も全然溶けていません。
母は暇があれば探しに行く日々を続けていましたが、少しづつ諦めモードになっていたそうです。
本当に毎日雪の中を探しに行っていたので、私は母が体調を崩してしまうのではないかも心配でした。
「もうあきらめた方がいいのでは?」と何度も言おうか迷いました。
そんなある日。
猫の鳴き声がするので窓を見ると、ハッピーの姿があったのです!
母はビックリして急いで家の中に入れました。
動物病院から家まで直線距離で2.5㎞。
そして、雪で覆われている道。
そんな中、ハッピーが帰ってきたのです。
もしかしたら毎日母が呼んでる声、においを辿ってきたのかもしれません。
どうやって家までたどり着いたのかわかりませんが、とても母とハッピーの絆を深く感じました。
母はこの時のことを今でも覚えてると言います。
エイズ発症
ケガなどはありませんでしたが、痩せていてクターっと弱っていたそうです。
食べる元気もあまりなかったので、とりあえずひたすら温めてあげたそうです。
徐々に食欲も出てくるようになり、元気を取り戻しました。
そのあとはゆっくり家の中で生活する日々が続きました。
外に出さなかったわけではなく、さすがに外に行こうと思わなかった様子。
さすがに懲りたのかな、ハッピー。
ハッピーが戻ってきてから約一ヶ月後。
3月。そろそろ暖かくなってきた頃です。
ハッピーの容態がおかしいのです。熱が高く、クターっと横になっています。
母は急いで病院に連れていきました。
診断結果は「エイズ」です。
奇跡ふたたび
いつからエイズにかかっていたのか。
元々持っていたのか、外に放し飼いだったからそのときか、この行方不明になったときなのか。
経緯はわかりませんが、きっと雪の中の生活で免疫力が落ちたからだろう、と。
「高熱が3日続くと、かなり厳しいでしょう」
母は、獣医さんの言葉に対して何かできないかと一生懸命に対策を考えました。
当時はまだペット関連商品がそこまで豊富ではなかったので、今だったら怒られますが、ひたすら人間用の栄養が高い水分を飲ませたり、人間用のサプリを飲ませたそうです。
3日目。
まだ熱が下がらず、食欲もなくグッタリです。
母は、一生懸命にサプリや水を与えます。
獣医さんは「かなり厳しい」と。
4日目。
とうとう運命の時です。
母は同じように水を与えようとすると、グッタリだったハッピーがちょっと動き出したそうです。
それからも、継続的にサプリと水を与え続けました。
獣医さんも驚きます。
一週間後。
ハッピーはすっかり元気になりました。
サプリや水が効いたのかわかりませんが、母の献身的な介護で治ったことには変わりません。
田舎なので、サプリも水も買いに行くのが大変でしたし結構高額だったそうです。
それでも、治る見込みがあればと懸命に介護をした母の勝利です。
天使の子到来
2005年はバタバタなスタートでしたが、本当はまだまだ激変する一年になるとは母はまだ知りません。笑
ハッピーはエイズも克服してからはいつも通りの生活に戻り、外にも出るようになってました。
居間の窓はハッピーが出入りするためいつも開けています。
そんなある日。
ハッピーが怒っています。
見てみると、子猫がハッピーの後を追いかけてちゃっかり家の中まで入ってきたのです。
ハッピーはめちゃくちゃ怒ってます。
「ここはボクの家だぞ!出て行けよ!!」と言わんばかりに唸りますが、子猫はお構いなしです。
さらに人懐っこくて母にもスリスリしてきたのでした。
ハッピーは激怒!!母はとりあえずごはんを与えて、外に出したそうです。
次の日。
ハッピー怒りふたたび。
またまたハッピーの後をついてきた子猫。もしかしたら父親のように感じているのかくっつきまわっています。
ハッピーも好意をずっと持たれているのに降参して、しまいには激アマになっていました。
そして、自然と「天ちゃん」が家族になりました。
名前は「天使のように可愛いから♡」と。
…いい言葉シリーズにはしないんだ、と少し思ったけど、間違いないと思った私でした。
天使はすごかった
天使の天ちゃんは本当に誰にでもよく懐く子でした。
そして、猫同士でもめちゃくちゃ優しい。
悪いことは一切しないおとなしい子で、よくかばんや入れ物の中に入るのが好きな子でした。
ハッピーを手なずけたのもわかります。
まさに天使!!
光を照らす
そんな猫2匹と母との生活は、大変なこともありましたが楽しく過ごしていました。
でも、2005年はまだまだ終わりません。
元々犬派だった母。
そして、「犬を欲しい人いないか」と会社の知り合いから聞かれたので挙手をした姉。
一人暮らしの母に家族をさらに増やしてあげたいと思ったのかわかりませんが、突然犬を連れてきたのです。
最初は困惑していた母でしたが、元々犬が好きだったこともあり、めちゃくちゃ可愛がっていました。
そんな「光(ヒカル)」が家族になりました!
名前は姉が付けて「光を照らす存在になるから」と。素敵な良い名前だなと思いました。
ハッピー激怒
元々母を独占してたハッピーは面白くありません。
光は甘えんぼでよくハッピーや天ちゃんに遊んでもらおうと絡みに行きますが、ハッピーは煙たがります。
その点、天使の天ちゃんは優しく一緒に遊んであげます。
ハッピーはますます面白くありません。
さらには、母の膝の上に乗っていると「ボクも~」と光がやってきます。
ハッピー大激怒。
でもなんやかんや、天ちゃんのおかげでみんないい関係を築いていました。
そんな感じでようやく怒涛の2005年は終わりそうです。
突然のお別れ
2007年。
天ちゃんが亡くなりました。
道路の横に綺麗な状態で横たわっていました。
元々野良猫だったこともあり、当時は外に放し飼いは当たり前だったので、室内にする方が可哀想だと思っていた頃です。
交通事故にあう可能性はわかってはいたつもりで、わかっていませんでした。
「誰かが毒殺したんじゃないか」とこの頃実家で一緒に暮らしていた私は考えました。
だってその位綺麗だったのです。人のせいにしたかった。でも、事故なんですよね。
ごめんね、痛かったよね。まだまだこれからだったのに。
天ちゃんにはいっぱい優しさをもらったよ。こんなに天使な子をみたことなかったよ。
本当にごめんね、そしてありがとう。
変化
ハッピーも光も天ちゃんがいなくなってから、大人しかったです。
いつも間を取り持っていてくれた天ちゃんがいなくなったからです。
そんな2匹でしたが変化が見えてきました。
今まで邪険にしてたハッピーが光のことをなめてあげたり、かまってあげるようになったのです。
相変わらず光がしつこいので邪険にすることも多々ありましたが、いい関係を築いているように見えました。
神経やられる
季節は流れて、2013年の秋。
ハッピー10歳、光8歳。
怒られるかもしれませんが、いろんなことがあってもハッピーは外に自由にしていました。
ある日、ハッピーが前足を引きづって帰ってきました。
「交通事故で頭から落ちて、神経がやられているんじゃないか」と獣医さんは言いました。
ハッピーは左前足が使えなくなってしまいました。
最初こそ動きづらそうにしていましたが、徐々にコツをつかんで、外に行く窓も部屋のドアもうまいこと片手で開ける位に成長していました。
凄すぎない?
この頃からハッピーはワイルドな顔になっていったような気がします(多分気のせい。笑)
片手をいつもなめてはケアも怠っていませんでした。
ハッピー、イケネコすぎるよ。
光との別れ
2017年の夏。
ハッピー14歳、光12歳。
この頃はもうお互い年もとってきてたので、まったりと過ごす日々でした。
光の様子がおかしいことに気づきました。
食欲が落ちて、足を引きづるようになったそうです。
動物病院に連れて行くと、「腎臓の病気にかかっていて、かなり重度です」と。
それから光はグッタリとして、だんだん寝たきりになりました。
病院に行ってから5日目。
体のものを全部出すかのように、下痢とおしっこを大量に出しました。
部屋中にシートを引いていたにも関わらず体中が濡れてしまったので、お風呂に入れたそうです。
グッタリはしていましたが、とても気持ちよさそうにしていたそうです。
病院に行ってから6日目。
「光、もう長くないわ。。」と母から電話があったので、休みに駆け付けました。
光はグッタリ横たわっていました。はあはあと息も荒く苦しそうです。
光はまだ生きているのに、涙が止まりませんでした。
いつも光は実家に帰ると、久しぶりでも覚えてくれてて駆け寄ってすごく喜んでくれました。
この時も、目からはすごく喜んでいるのが伝わってきました。
私は家にいる間中、ずっと一緒に隣で横になっていました。
見てるのが辛くてずっと泣きながら隣にいたからなのか、一度光がよろよろと立ち上がって歩き出したのです。
「光、無理して歩かなくていいよ!どこいくの?」
光は近くに置いてあった水ではなく、いつも飲んでいた場所にある隣の部屋の水を飲みに行ったのです。
いまの光にしてはすごく辛いはずなのに、「こんなに元気だから大丈夫だよ」と言ってくれたように感じました。
光に気を使わせてしまってすごく申し訳なくなって、離れた所からしばらく見守ってから帰りました。
母はこの光景をずっと見てて本当につらいだろうなと、母のこともすごく心配でした。
翌日、光は亡くなりました。
その後の様子
ハッピーは光がグッタリと横たわっている時に、たまに様子を見に行っていたそうです。
「光も嬉しそうにしてたように見えたよ」と母は言いました。
光が亡くなってから、ハッピーは元々のんびりしていたのが益々のんびり過ごすようになったそうです。
母はいつも光と一緒に寝ていたので、寝るときが一番実感して悲しくなると言ってました。
それを感じてなのかわかりませんが、光の場所にハッピーが寝るようになりました。
お別れの時
2019年の冬。
ハッピー16歳。
おかしいと思ったのは、食欲がなくなってトイレをあまりしなくなったからです。
「低体温になってます。たぶん何日かもちますが治る病気ではないです」
と獣医さんに言われて帰ってきました。
いつも抱っこされるのは好きだったのに嫌がり、温めようとコタツに入ってもらおうとしても嫌がる。
きっと凍傷みたいな感じで、体中痛かったのかな?ハッピー。
あえて床の上に座っていました。
病院に行ってから3日目。
その日はうろうろして自分からコタツに入ってきたそうです。
母は良かったと喜んで中に入れて、少し経ってから様子を見ると息をしていませんでした。
体はコタツで温かいけど、あきらかに息をしてないのがわかったそうです。
わずか数分のことです。
ハッピーは亡くなりました。
後悔しない
「 出逢いが心を豊かにし、別れが人生を深くする 」という好きな言葉があります。
出逢いがあれば、必ず別れもある。
それを繰り返して人生を送って成長していくんだと。
だから別れのときは目一杯泣かせてください。悲しませてください。
人生を深くさせてください。
そして、後悔しないようにしたいです。
『もしかしたら、自分がごはんを与えすぎて太らせたのが原因だ。』
『もっと早くに気付いてたら助かったのかもしれない。』
可能性を考えたらきりがないですよね。
私はめちゃくちゃネガティブです。悪いことばっか考えてしまいます。
でも、それって猫達に失礼じゃないかなって。
だって大好きだった時間を共有してたのは間違いないから。
『美味しそうにしてたからごはんをもっと与えて太らせてしまった。』
肥満は病気の元かもしれませんが、でもその時間を幸せに過ごしたのは間違いないのだから、してしまった後悔より喜んでもらえたことを思い出してあげたいですよね。
ハッピー・天ちゃん・光との出会いは心を豊かにしてくれて、かけがえのない存在だったよ。
最後に
母は光が亡くなった時が一番辛そうでした。
苦しくはぁはぁしている姿を横でずっと見守り、最後まで看取ることが唯一出来たことだと。
相当つらかったと思います。
でも、それを励ましてくれたのがハッピーでした。
光の代わりをするかのように甘えてきたり励ましてくれたのです。
ハッピーが亡くなるときは年も年だということもあり、母もかなり覚悟もできていました。
「苦しい期間が短くて本当に良かった、それだけが本当に良かった」と。
光の時のような悲しみは与えるまいと、最後まで母のことを考えてくれたように感じます。
ハッピーは母にとって相棒であり、幸運をもたらしてくれた猫でした。
この文章を書くのも、いまだに泣きながらでしか書けない私を許してね。
でも、悲しいんじゃないよ。ハッピーたちと出会えたから今の私がいるんだってすごく感謝してる。
また、会おうね。ありがとう。
コメントしてくれたら嬉しいにゃ